1991年5月29日、福岡県北九州市に生まれました。生まれから気管支炎、肺炎、風邪などで入退院を繰り返していました。幼稚園では友達と元気に遊んでいました。運動会なども参加していました。習い事としてスイミングに通い始めました。


「何も知らない。何も分からない。違いを感じていなかった!!」

右の写真は運動会で騎馬戦に挑む一枚です。小学校の運動会は6年間出場しました。足が遅いことから運動会はすごく嫌でした。6歳のときに筋生検(筋肉細胞を調べる検査)をして、先天性ミオパチーと分かりました。入学の際、病気のことが原因で小学校、中学校、高校と学校側に断られるが家族の説得もあり無事に入学できました。体育の授業は参加していて、外でも遊んでいることが多かった。でも、「階段を昇るのがきつい」、「首が重い」と感じていた。あまり周りの友達との体力の違いは感じていなかった。

スイミングを5歳から中学1年までしていました。お医者さんから有酸素運動は良いと聞いていました。体力作りと思い、一生懸命に泳いでいました。でも泳ぎ終わった後、頭痛や体のふらつき等がよくありました。専門医にかかって分かったのですが、呼吸器には負担になっていました。

学生で中学が一番楽しかった。中学時代は自由に過ごしていました。学校では自分のペースでやりたいようにやっていました。学校区外に住んでいたため、バスから徒歩で通学していました。バスの階段が昇るのが大変でした。その後、学校まで歩くことにすべての体力を使っている感じでした。いつも息が苦しくて、友達と同じ速さで歩くことで精一杯でした。歩いている時は息が苦しく、学校に着くと頭痛が起きていました。体育の授業はずっと見学で運動会も不参加でした。体育に参加したのは5回くらいだったと思う。病気のことについて詳しい説明を聞いたことがなく、通学のとき等はみんなボクと同じように息が苦しくなったり、頭痛が起きたりしていると思ってました。


高校時代は呼吸器機能障害1級、人工呼吸器導入、在宅療養と激変した時代でした。山の上に学校があり、必死こいて通っていました。よく動くことがきつくて机で疲れていました。高校2年のときに修学旅行に行きました。修学旅行2日目の朝、起きたら体がとても重く、頭痛があり風邪をひいただけだと思っていました。そんな中、スキーや観光をしました。地元に帰ってきても体調は変わらずに続いていました。その後、救急で入院することになりました。2週間くらい原因不明で熱、頭痛、呼吸苦などがありました。退院の日に動脈血ガス分析をして(酸素分圧:56% 二酸化炭素分圧:81%)でした。慢性呼吸不全の状態であることがわかり、NPPVを導入をすることになりました。肺機能検査で肺活量は19%まで落ちていて、4年前に検査したときは46%でした。退院はできず、1ヶ月ほど退院が延びました。高校3年は体調を崩すことが多くなり休んだり、早退したりすることが増えました。通学にはタクシーで行くことがあり、学校側から通信制を勧められることがありました。でも、なんとか無事に卒業することができました。


今までかかりつけ医だったところは不安や疑問を思い、転医しました。今では地元にある病院と専門病院を年に1~2回ほど受診しています。この病院を受診するときや長距離移動のときは車椅子を使っています。先生からはなるべく車椅子を使うように言われます。呼吸器リハビリは大切です。呼吸器に大きく障害の影響が出ています。肺活量は正常の方の5分の1以下しかありません。必ず寝る時には人工呼吸器(NPPV)を使用しています。体調が悪い時にも使用しています。外出時にはアンビュー(手動の人工呼吸器のようなもの)を持ち歩き、リハビリなどに励んでいます